法則を超える力
冬の夜空を埋め尽くすように、無数の光の粒が瞬いていた。
都心でも有数の美しさを誇るその並木道は、見渡す限りの木々が黄金色と純白の光に彩られ、まるで地上に星屑を縫い付けたかのような幻想的な景色を作り出している。吐く息は白く、頬を刺すような冷たい北風が吹いているというのに、光の回廊の下は寄り添い歩く恋人たちの熱気でむせ返るようだった。
誰もが甘い言葉を囁き合い、肩を寄せ、スマートフォンの画面に幸せそうな二人の顔を収めている。そんなロマンチックな喧騒の中を、#name#は隣を歩く大柄な恋人――満寵を見上げた。
仕立ての良い冬物のロングコートに身を包んだ彼は、周囲の浮かれた空気などまったく意に介さない様子で、涼やかな横顔のまま淡々と歩を進めている。
「綺麗ですね、伯寧さん。まるで光の海みたいです」
周囲の恋人たちに倣うように、#name#は少しだけ声を弾ませて同意を求めた。彼とこうして冬の街を歩けることが嬉しくて、その喜びを共有したかったのだ。すると、満寵は歩みを止め、見上げるような高さにある樹木の枝先――光の粒が密集している部分へと、すっと視線を向けた。
丸みを帯びた形の良い知的な双眸が、瞬く光を反射して鋭く細められる。
「うん、これは発光ダイオードだね」
甘い相槌を期待していた#name#の耳に届いたのは、冬の夜気よりも無機質で、ひどく冷静な単語だった。満寵はコートのポケットに両手を入れたまま、頭上の光の群れを査定するような目で見つめ、淀みない口調で言葉を紡ぎ始める。
「電気を直接光に変換する半導体素子で、白熱電球よりも低電力、長寿命、低加熱、衝撃に強いといった特長があってね。構造としては、正孔が多いp型半導体と、電子が多いn型半導体を接合したpn接合が基本となっている。ここに順方向の電圧を印加すると、電子と正孔が接合部に向かって移動し、再結合する。その際に生じるエネルギーの差、つまりバンドギャップが光のエネルギーとして外部に放出される仕組みだ」
「えっと……は、はい?」
「ちなみに、君の目の前で青白く輝いているその光は、窒化ガリウム系の材料を用いた青色発光ダイオードに、黄色の蛍光体を組み合わせて擬似的な白色光を作り出しているんだよ。一昔前までは高輝度の青色を出すことは極めて困難だとされていたが、結晶成長技術の画期的な進歩によって実用化に至った。さらに興味深いのは、このイルミネーションの配線構造だ。これだけの数を直列および並列で組み合わせ、かつ屋外の過酷な温度変化や雨風に耐えうる防水防塵設計を施すためには、給電部の……」
そこから先は、さながら流れるような読経であった。
イルミネーションを眺めながら歩くカップルだらけの広場のど真ん中で、長身の美丈夫が発光ダイオードの物理法則と屋外配線の耐久構造について、何かに憑かれたように熱弁を振るっているのだ。周囲の甘いBGMすら掻き消すような彼の美声は、半導体がどうの、電圧がどうのという、およそデートには不釣り合いな専門用語をひたすらに紡ぎ出していく。#name#は呆気に取られながらも、相槌を打つタイミングすら見失い、ただ瞬きを繰り返すしかなかった。
五分が経過し、十分が経過しても、満寵の「LED解説」は終わる気配を見せない。彼にとっては、この光の芸術も「いかにして効率よく電気を光に変換しているか」という技術的命題の展示場でしかないのだろう。およそ十五分にわたる長い長いお経が一段落すると、満寵はおもむろにコートの内ポケットから最新型のスマートフォンを取り出した。
「なるほど、これは素晴らしいね」
そう呟いた彼がカメラのレンズを向けたのは、きらびやかに輝く並木道の全体像でもなければ、隣に立つ#name#の姿でもなかった。彼はあろうことか、街路樹の幹に巻き付けられた「LED電球の配線コードの結び目」にスマートフォンを限界まで近づけ、マクロ撮影のピントを合わせ始めたのだ。
「今の技術は進化している! 見てごらん#name#、この基盤を覆う樹脂の密閉度を。これなら冬季の結露による漏電リスクを最小限に抑えられる。実に合理的な設計だ」
感嘆の声を漏らしながら、満寵はしゃがみ込んだり、不自然な角度に首を傾げたりしながら、マニアックなアングルでひたすらに配線と電球の接合部を撮影し続けている。カシャ、カシャと無機質なシャッター音が、冬の空気に虚しく響いた。その異様な光景に、すれ違う周囲のカップルたちが奇異の視線を向けていく。
#name#はぽつんと一人、彼の背中の後ろに取り残されていた。右隣では、腕を組んだ学生の恋人同士が「来年も一緒に見ようね」と笑い合っている。左隣では、仲睦まじい夫婦が寄り添って自撮りをしている。翻って自分はといえば、寒空の下、LEDの防水設計に感動して配線の写真を撮りまくる恋人の背中を、ただ黙って見下ろしているのだ。
(……私、一体ここで何をしてるんだろう)
冷たい風が吹き抜け、かじかんだ指先をコートのポケットに突っ込む。
彼が有能で、物事の仕組みや理に対して異常なほどの探求心を持っていることは、付き合う前から十分に知っていた。だからこそ惹かれた部分もある。だが、せっかくの冬のデートなのだ。少しは私を見てほしい。綺麗だね、と笑い合ってほしかった。いくら自律した大人の関係とはいえ、#name#の胸の奥に、じわりと冷たい寂しさが滲む。彼との間に、目に見えない分厚いアクリル板でも引かれているような、そんな孤独感。
これ以上待っていても、彼のカメラロールが配線と半導体の写真で埋め尽くされるだけだろう。#name#が小さく溜息をつき、「もう行きましょうか」と声を掛けようと顔を上げた、その時だった。
「――まあ、どんな輝きも君の美しさには及ばないけどね」
さらり、と。冬の冷気を切り裂いて、鼓膜の奥を直接撫でるような、ひどく甘い中低音が落ちてきた。
#name#が弾かれたように息を呑むと、いつの間にか立ち上がっていた満寵が、スマートフォンをポケットにしまいながらこちらを振り返っていた。無数の発光ダイオードの光を背負った彼の顔には、先ほどまでの「技術の探求者」としての狂気じみた熱は微塵もない。そこにあるのは、見慣れた、それでいていつ見ても心臓を鷲掴みにされる、あの飄々とした、底知れぬ情愛を湛えた微笑みだった。
「え……?」
不意打ちの特大爆弾に、#name#の思考回路が完全にショートする。先ほどまで、半導体や電圧の話を延々としていた男の口から出た言葉とは到底思えなかった。だが、彼が真っ直ぐに#name#を見つめるその眼差しは、周囲のどんなイルミネーションよりも強烈な熱を放って、彼女を射抜いている。
「不思議なものだね」
満寵はゆっくりと歩み寄り、#name#の目の前で立ち止まった。彼の大柄な身体が冷たい風を遮り、ふわりと、彼特有の整髪料と冬の匂いが#name#の鼻腔をくすぐる。
「計算され尽くした配線も、科学の粋を集めた光の波長も、私の好奇心を満たしてはくれる。けれど……ただ君がそこに立って、寒そうに息を吐いているだけの姿に、私の視線はどうしようもなく引き寄せられてしまうんだ」
満寵はコートのポケットから、#name#の冷え切った小さな手を引っ張り出した。そして、己の大きくて温かい両手で包み込むように握りしめる。戦場ではなくとも、日々の激務をこなす彼の指先は男らしく骨張っていて、その熱が#name#の皮膚から血流へと流れ込み、瞬く間に全身を熱くさせていく。
「君という存在の引力は、どんな物理法則の計算式にも当てはまらない。……私にとって、君は常に計算外の光だよ、#name#」
意地悪く、そしてこの上なく甘やかに目を細め、彼は#name#の凍えた指先に、そっと唇を落とした。そのわずかな瞬間。周囲の恋人たちの声も、街路樹を彩る光の群れも、すべてが彼という圧倒的な存在の前に色褪せていくのを感じた。寂しいなどと一瞬でも思った己が恥ずかしくなる。彼は#name#をそっちのけにしていたわけではない。ただ己の欲求を満たした後、当然の帰結として、最も価値のあるものを愛でに来ただけなのだ。
「……伯寧さんって、本当に、ずるいです」
「おや、心外だな。私はただ、客観的な事実を述べただけだよ」
真っ赤になった顔を隠すように俯く#name#を見て、満寵は喉の奥で楽しげに笑った。そして彼は#name#の手を握ったまま、己のコートのポケットへとその手を引き入れる。布越しの密着した距離感と、彼の体温の絶対的な暖かさに、#name#の心臓はもう壊れそうなほど早鐘を打っていた。
「さあ、半導体の観察は十分に堪能した。次は、君の温もりを堪能させてもらう番だね」
そう言って歩き出した彼の足取りは、先ほどまでのそれとは違い、完全に#name#の歩幅に合わせた優しいものになっていた。