《第6話》
週末の深夜。時計の針が午前零時を回った頃、マンションの一階に併設されたコンビニエンスストアの店内は、白々しい蛍光灯の明かりに包まれていた。
レジカウンターの中に立つ#name#は、昼間に馬岱のファインプレーによって得られた数時間の貴重な睡眠のおかげで、なんとか完全なゾンビ化を免れていた。しかし、夜勤特有の気怠さと、この後に間違いなく待ち受けているであろう『マンションの奇行種たち』の襲来を予感し、その目はすっかり光を失ったかのようになっていた。
ウィーーン......。
静寂を破り、自動ドアが無機質な音を立てて開く。深夜のコンビニに現れたのは、#name#の嫌な予感を一切裏切らない、いや、予想を遥かに超える視覚的暴力の権化たちだった。
「――ですから文若殿、酒のつまみにおいて妥協は許されないのです。今夜は俺と徹底的に語り合いましょう」
「ええ、公達殿。私も今日は少し羽目を外したい気分ですので。......おや、この『ダブルソフト・レーズン味』、なかなか魅力的ですね。これも今夜の戦力に加えましょう」
店内に入ってくるなり、堂々たる声量と極めて丁寧な敬語で熱く語り合っているのは、#name#の隣室に住む荀攸と、四階の荀彧である。
荀攸はすでに自宅でベロベロになるまで飲んできたのか、足取りが微かにふらついているが、口調だけは恐ろしく滑らかで、店内の有線放送の音量に匹敵するような声量だ。そして何より、彼の頭上には諸葛亮から押し付けられた『ハローキティなりきりスウェット』のフードがすっぽりと被せられており、巨大な白い猫の顔と赤いリボンが、無表情な荀攸の頭上でシュールに揺れている。対する荀彧の出で立ちも、相変わらずファッションの常識を逸していた。戦時中からタイムスリップしてきたかのような『たたみ柄の丈足らずもんぺ』に、サイズ感を完全に無視した『毛玉だらけのダボダボパーカー』。法廷で無敗を誇るハイパー凄腕弁護士の威厳など、そこには一ミリも存在しない。
彼らの買い物カゴの中に、大量の缶チューハイ、大容量の日本酒、チープな駄菓子、そしてダブルソフトが次々と放り込まれていく。
(......キティともんぺが連れ立って酒を買いに来る深夜のコンビニ、控えめに言って地獄でしょ)
#name#がレジの中から遠い目をしていると、再び自動ドアが開いた。
次に現れたのは、酷く不機嫌そうなオーラと疲労感を全身から漂わせた初老の男。このマンションの管理人の一人、司馬懿である。彼は諸葛亮と交代で二十四時間体制の管理人業務をこなしている苦労人なのだが、彼の身なりもまた、別のベクトルで終わっていた。
深い溜息を吐きながら歩く彼の両耳には、なぜか水族館のお土産コーナーで売られているような『青いイルカのボールペン』が、アンテナの如くブスリと刺さっている。さらに、息子の司馬昭が散らかした部屋を片付けてきた直後なのか、彼の着ている全身真っ青な服には、あちらこちらにポテトチップスの食べカスがこびりついていた。
司馬懿は店内を睨み付けるように徘徊したあと、一直線にレジへと向かい、選び持っていた『眠眠打破』と『味付け卵』をカウンターの上にバンッ!と乱暴に叩き付けた。
「おい小娘、肉まんを出せ」
ポテチのカスを身に纏い、両耳からイルカを生やした男が、深夜零時に偉そうに中華まんを要求してくる。情報量があまりにも多すぎるが、この魑魅魍魎の巣窟で鍛え上げられた#name#の『狂人耐性』は伊達ではない。彼女は一切の表情を崩すことなく、マニュアル通りの棒読みで冷たく告げた。
「ただいまの時間は、蒸し器のメンテナンスのため稼働を停止しております」
#name#の背後にある中華まんの保温ケースには、無情にも『清掃中』の札が掲げられている。その事実を突き付けられた瞬間、司馬懿の眉間には深いシワが寄り、ただでさえ最悪だった不機嫌さは最高潮に達した。
「ならば用はない!!」
司馬懿は半ギレ気味にそう吐き捨てると、レジに叩き付けた眠眠打破と味付け卵をそのまま置き去りにして、くるりと踵を返した。そして、イルカのボールペンを揺らしながら自動ドアを荒々しく抜け、暗闇の中へと消えていく。
「......いや、買えよ」
ぽつんと残された眠眠打破と味付け卵を前に、#name#は小さく呟いた。結局、店に来てキレて帰っただけである。深夜のコンビニ店員にとって、これほど理不尽な客は滅多にいない。
「おや......今の御仁は、管理人の司馬懿殿ですね」
「ええ、そのようです。しかし公達殿。深夜とはいえ両耳にイルカのペンを挟み、パン屑ならまだしも、服にスナック菓子の欠片を付けたまま出歩くとは......いささか身だしなみに問題があるのでは?」
「全くです、文若殿。上に立つ者として、あの姿はあまりにも滑稽です。周囲からどう見られているか、少しは自覚して頂きたいものですね」
司馬懿の嵐のような退場と入れ替わるように、レジへとやって来た荀攸と荀彧が、満杯の買い物カゴをカウンターに置きながらそんな会話を交わし始めた。ハローキティの顔面を頭に被った男と、毛玉だらけのパーカーにたたみ柄のもんぺを穿いた男が、真顔で司馬懿の身だしなみを批判しているのである。
(......あんたらも大概だよ)
#name#は商品のバーコードを無心でスキャンしながら、心の中で盛大に突っ込んだ。
(全員、自分の異常さには致命的なまでに鈍感なくせに、他人の異常だけはちゃんと指摘するんだよな......)
このマンションの住人たちは、自分の狂気には一切気付かず、他人の奇行には一人前に苦言を呈するのだ。そのどうしようもない矛盾とシュールな空間に、#name#は深い疲労を覚えた。
「お会計、三千四百五十円になります」
「ああ、カードで。......さあ文若殿、酒の追加も手に入りましたし、戻ってパンの耳の行く末について討論を再開しましょう」
「ええ。このダブルソフト・レーズン味が、我々の議論に新たな風を吹き込んでくれるはずです」
カゴいっぱいに詰め込まれた酒と駄菓子、そしてダブルソフトを受取り、二人はご機嫌な様子でマンションへと帰っていく。その後ろ姿を見送りながら、#name#は絶望的な事実に気付いてしまった。現在、時刻は深夜零時過ぎ。彼らがこれから酒盛りと討論会を再開するということは、少なくとも数時間はあの饒舌な演説が続くということである。
(......絶対に、私が帰る頃まで飲んでるやつじゃん......寝ろって、マジで)
#name#は心の中で血の涙を流しながら、レジカウンターに置き去りにされた司馬懿の眠眠打破を、仕方なく元の棚へと戻しに向かうのだった。