《第8話》

駐輪場での悲惨な自転車巻き込まれ事件から数時間が経過した、深夜一時。過酷な夜勤の真っ只中にある#name#は、レジカウンターの中で静かに虚無を見つめていた。すると自動ドアが開き、深夜のコンビニに相応しくない、しかしこのマンションにおいてはすっかり見慣れた不審者が姿を現す。 四階に住む男、郭嘉だ。風呂から直行してきたのか、彼の金髪はびしょ濡れで水滴を滴らせており、首にはヨレヨレのタオルが掛けられている。よく見れば、そのタオルには不動産屋の社名がデカデカとプリントされており、真上の階に住む満寵から押し付けられた粗品であることは明白だった。そして何より目を引くのは、彼のトレードマークである『シマウマ柄のセットアップ』である。病弱で幸薄い貴公子の凛とした顔立ちと、絶望的にダサい服装のギャップが凄まじい。 「やあ、こんばんは」 郭嘉はとびきり色っぽい声でそう囁きながら、半額シールが貼られた商品を次々とレジカウンターに置いていく。大盛りナポリタン、塩焼きそば、カツ丼、そして何故か砂肝。声色の艶と、茶色の食。何をどう考えても釣り合っていない。 (………また、あんたか。ていうか、炭水化物祭りじゃん。フードファイターかよ) 心の中で痛烈なツッコミを入れながらも、完全にマニュアル化された無表情のまま、バーコードをスキャンしていく。  「千百四十二円です」 「それじゃあ、PayPayで」 スマートにスマホを差し出す郭嘉だったが、決済端末にかざした瞬間、無情にも『残高が不足しています』という電子音が店内に響き渡った。 「……残高不足です。それから、レジを濡らさないでください。池から出てきたんですか?」 「池?まさか。ああ、今回は現金で支払うよ」 #name#の真顔での塩対応に、郭嘉は「残高不足とは、おかしいな」と誤魔化すように笑うと、シマウマ柄のポケットをゴソゴソと漁り始めた。その果てに彼が取り出したのは、今時珍しい、しかも信じられないほどしわしわになった『二千円札』。レジ店員からすると、非常に処理の面倒な紙幣である。 会計を済ませた郭嘉は、レジ袋に入った商品を受け取ると同時に、カウンターに一枚の紙を滑らせた。 「これ、休憩時間にどうぞ」 甘いウインクと共に差し出されたのは、彼が自社で取り扱っている生命保険のパンフレットだった。過剰に保険を掛けすぎて保険貧乏に陥っている彼なりのナンパらしいが、#name#にとってはただのゴミである。 シマウマが嵐のように去っていったのと入れ替わりで、再び自動ドアが開いた。次に入店してきたのは、五階の住人である馬岱と、その隣室に住む従兄弟の馬超の二人組だ。馬超はライダースジャケットの前を全開にしており、その下からは眩しいほどの『蛍光緑の馬面Tシャツ』が剥き出しになっている。対する馬岱も負けてはいない。彼が着ているのは『ボング・エンタープライズ』と書かれた謎の社名Tシャツだ。どうやら六階に住む管理人・司馬懿の前職の粗品らしいが、なぜそれを部屋着にしているのかは謎である。 馬岱はニコニコと人の良い笑顔を浮かべながら店内を歩き回り、カスタードシュークリームとイカの塩辛という、胃袋が崩壊しそうな地獄の組み合わせをカゴに放り込んだ。 「塩辛にカスタードクリームを付けて食べるのが最高なんだよね〜、若!」 狂気としか思えない味覚を嬉々として馬超に語る馬岱。彼はそのままレジの#name#に視線を向けると、小さく片手を上げて、声を出さずに無言の挨拶を送ってきた。 彼ら馬ブラザーズから少し遅れて、今度は圧倒的な威圧感を放つ巨漢が店内に足を踏み入れた。七階の角部屋――エレベーターホール側に住む男、関羽である。立派な美髯を蓄えた武神のような風貌の彼は、鋭い眼光で店内の棚を睨みつけていた。 「ぬう……これは還元祭対象だが、ポイントスクラッチ対象商品ではないか……」 彼が真剣な顔で探しているのは、敵の首ではなくポイントである。ポイ活の鬼と化した関羽は、自慢の長いヒゲを買い物カゴに器用に収納しながら、対象商品だけを容赦なく買い漁っていく。 そして更に三十分後。「英才」という文字が特大プリントされたTシャツの裾を、赤紫色の芋ジャージにきっちりインした鍾会がやって来た。彼は昭和感漂う便所スリッパをペタペタと鳴らして迷わずドリンク棚へ向かい、陳列されていた『とうもろこしのひげ茶』全部を「この程度、自転車の重さに比べれば軽い!」と震え声で叫びながら腕に抱える。どうしても買い物カゴを使いたくないのか、彼は腕をプルプルさせながら終始無言で会計を済ませ、レジ袋を腕に食い込ませながら退店して行った。 (……マジで、文明の終わりみたいな客しか来ない……) 重すぎる溜息を吐き出しながら、#name#は現実逃避するように店外へと視線を向けた。 しかし、全面ガラス張りの出入り口の向こう側――店の目の前の路上には、店内を遥かに凌駕する物騒な光景が広がっていた。二階の住人である陸遜が、四人の警察官に完全に包囲されていたのである。 彼の足元には、パンパンに膨れ上がった登山用の巨大なリュックと、大量の木の枝や新聞紙を限界まで詰め込んだ四十五リットルのゴミ袋が置かれている。袋からは鋭い枝が何本もはみ出しており、どう見ても不審物だ。陸遜自身は、自分を取り囲む警察官たちに対し、両手に持った『二つのチャッカマン』を双剣のように構えながら、何事かを熱弁しているようだった。分厚いガラスのせいで声は聞こえないが、おそらく「戦略的燃料だ」とでも主張しているのだろう。 陸遜は全く怯むことなく、さらに一歩警察官に詰め寄ると、チャッカマンを握った右手で己の後方をビシッと指し示した。その指先が示す数メートル先には、一人の男が立っている。四階の住人にして、どんな罪も揉み消すハイパー凄腕弁護士、荀彧であった。夜に急遽呼び出されたのだろう。彼は上半身こそパリッとした高級スーツのジャケットを羽織り、完璧な弁護士の顔を作っているが、下半身は『たたみ柄の丈足らずもんぺ』という絶望的な姿のままだった。引き攣った顔で苦笑いを浮かべながらも、必死に警察官に対応しようとしている弁護士の姿は、あまりにもシュールである。 (……ああ……今日もこの辺りは通常運転……治安が悪いなぁ……) #name#はそっと視線を落とし、手元に残された生命保険のパンフレットをゴミ箱へと滑らせた。魑魅魍魎たちが乱舞するマンションの夜は、まだまだ終わりそうもない。