《第20話》
一人でスマホに向かって熱弁を振るう管理人・司馬懿を横目に、満寵はピカピカに磨き上げられた真っ白な車の前に立った。馬岱の店から、圧倒的な値引き交渉の末にもぎ取ってきたばかりの、納車したての新車『アルファード』である。
「さあ、どうぞ」
満寵は紳士な笑みを浮かべ、スマートな手付きで助手席のドアを開けた。#name#がそこに座したことを確認すると、彼自身も運転席へと乗り込む。しかし、#name#は車内に足を踏み入れた瞬間、言葉を失った。外観は鏡のように美しい新車であるにも関わらず、その車内はすでに、目を疑うような荒れ放題の惨状を呈していたのだ。
運転席より後ろの広大なスペースは完全に座席が潰されており、そこはまるで『業者の車』のごとく荷物に占拠されている。用途不明の切り出された大量木材、いつ使うのか分からない電動工具一式、辞書ほどもある凡人には理解不能な謎の図面の束、五本ほど転がっている物騒な法正の水道管、どうやっても解けそうにない絡まりまくったロープ、砂が付いたままの割れたコンクリートブロック、開きっぱなしでボルトが散乱している複数のツールボックス。とにかく散らかっている車内に、#name#は困惑の表情を浮かべるしかなかった。
「……なんか……なに? この惨状。……倉庫に居るみたい」
#name#は恐る恐る後部座席の惨状を覗き込みながら、引き攣った声で呟いた。そこには『仕事ができる男のスタイリッシュな車内』など微塵もなく、現場と私生活の境界線が完全に死滅している男のリアルな生態が広がっていた。
「そうかな。私にとってはこれが一番落ち着くんだけどね」
「出掛けるって分かってたなら、もう少し片付けよう! とかは思わないの?」
「いやあ、実は納車してすぐ、郭嘉殿にどうしてもってお願いされて一緒に買い物へ行ったんだよ」
満寵は異常感覚を隠そうともせず、涼しい顔で答える。そして、呆れる#name#に対し、苦笑いしながら言い訳を始めた。
「そしたら、彼が『狭い所がいい』って言うから、助手席ではなく後ろに乗せたんだ。シマウマとかウシとかトラとかキリンとか……何が良いんだか全く理解できない動物柄の服を大量に買い込んで、それを後ろのこの荷物の中で広げて『第二弾・アニマル撮影会』なんて嬉しそうにしててね……」
「それにしても散らかりすぎ。それにそのウシ、多分だけど結構前に私のところに回ってきたやつと同じかも……」
要するに、この凄まじい散らかりの原因の半分は、郭嘉の奇行のせいだと言いたいらしい。無理にも程がある言い訳を聞かされた#name#は、さっきまで自分が座布団にしていたウシ柄を思い出し、異国の地を思うような遠い目をした。
「ていうかあの人、生活どうなってんだろう? 毎回、深夜一時ごろに値下げ狩りしに来るし、死にそうな顔で生命保険勧めて来るし、死亡保険金がどうのって……」
「……へえ。君のところに、郭嘉殿が……?」
苦笑いしながらこぼした#name#の愚痴に、満寵の空気がふっと変わった。
「それは、営業? それとも下心? ……どちらにせよ、#name#殿が迷惑だと思っているなら、私の方から郭嘉殿に伝えておくよ」
完璧な笑顔の裏からチラリと覗いた、鋭く冷たい声。自分のテリトリーを荒らされたくないという、男の静かな嫉妬と独占欲だった。#name#は少しドキッとしながらも、車内に充満するホームセンターの資材売り場のような空気に包まれながら、ぽつりと口を開く。
「…………で、どこに行くの?」
「どうしようか。何も決めてないんだけど」
「……え? 自分から誘っておいて未定?」
信じられない、という顔をする#name#に、満寵は悪びれもせず頷いた。
「うん。食の好みは人それぞれ違うだろう? 私が勝手に決めて、#name#殿の苦手なものを選んでしまったら意味がないからね。何かリクエストがあれば、何でも言ってくれて構わないよ」
行き先が未定なのは、決して彼の段取りが悪いからではない。相手の好みに完璧に合わせようとしすぎるあまり、結果としてノープランになってしまったのだ。それもまた、彼なりの重い愛情表現の一つである。
「急にこっちに振られてもなあ……」
#name#はスマホを取り出し、和食のジャンルで検索をかけ始めた。満寵もまた、自分のスマホで『食べログ』を捜索し始める。静かな車内。二人して画面に齧り付きながら、次々とお気に入りのお店をスクロールしていく。
「ねえ、ここは?」
#name#が良さそうな和食店の料理画像を見つけ、画面を差し出した。満寵はスッと顔を寄せ、#name#のスマホの画面を真剣な顔で覗き込む。しかし。
「……うーん、ここはレビュー評価が3だ。4.5以上の評価がない店は恐らく、客を満足に接待出来ない、或いはサービスがろくでもない店なんだろうね。除外しよう」
「何でも構わないって言ったじゃん!」
「そうは言っても、店選びは重要だからね。せっかく時間かけて行くのに、失敗したくはないだろう?」
己の車内はゴミ溜めのように散らかっているくせに、飲食店の評価には一切の妥協を許さない真顔の『食べログ警察』である。#name#は盛大なため息を吐いた。その後、二十分ほど食べログを厳しく偵察した結果。#name#の「和食がいい」という意見を取り入れ、見事評価4.8を獲得しているオシャレな和食店に目的地が決定した。
「……よし、これで行こうか。四十分くらい走るけど、往復したら夜のドライブにはなる距離だね」
満寵がカーナビに目的地を入力し終え、顔を上げた時だった。
車のフロントガラスの向こう側――駐車場では、底辺YouTuberの司馬懿が、諸葛亮のプリウスのボンネットに指紋を付けながら偉そうに寄り掛かり、身振り手振りを交えて無言を貫くスマホに熱弁を振るっていた。しかし運悪く、そこへプリウスの持ち主が現れた。ニワトリ柄のセットアップに身を包み、髪を『羽のシュシュ』で纏めた諸葛亮である。彼は団扇代わりに使用しているボロボロの羽扇を振り上げ、司馬懿の顔面を容赦なく殴りつけた。音こそ聞こえないが、二人が凄まじい口論を繰り広げているのが分かる。
「…………」
満寵は、車外で繰り広げられる天下の軍師たちの醜い争いには一切目もくれず、ただ静かにシートベルトを締めると、迷いなくアクセルを踏み込んだ。