《第21話》
ピカピカに磨き上げられた新車のアルファードは、滑らかに駐車場を滑り出した……かと思いきや、公道に出た瞬間にその本性を剥き出しにした。
満寵の運転は、お世辞にも紳士的とは言えなかった。いや、控えめに言って『最悪』である。青信号に変わる直前のフライング気味の急発進、赤信号ギリギリまでスピードを落とさない急ブレーキは当たり前。道路の陥没や段差があっても減速することなく平気で突っ切るため、車体は常に大きく揺れている。さらに、前方に遅い車が走っていれば、蛇行運転をして前方の見通しを確認しながら容赦なく車間距離を詰めていく。
「…………っ!」
助手席の#name#は、ドア上のアシストグリップを死ぬ気で握りしめながら、顔を引き攣らせていた。そんな荒々しい、命の危険すら感じるドライブテクニックが披露されている最中。ハンドルを握る満寵が、ふと今にも泣き出しそうな声色で#name#に問い掛けてきた。
「#name#殿……。君は、私を避けていたのかい?」
「……だから、それは違うって。法正殿が話を盛っただけで、私は別に。ただ、顔を合わせづらいって相談しただけなの」
#name#は必死にグリップにしがみつきながら、なんとか声を絞り出した。
「それは、どうして?」
満寵はしゅんと眉を下げ、いわゆる『ぴえん顔』を作りながら問い返してくる。――しかし、彼がその悲しげな顔を作っている間にも、アルファードは前方を走る軽自動車のバンパーにビタ付けするほどの距離まで接近し、堂々と煽り倒していた。
(……泣きそうな顔で煽り倒すって、情緒どうなってんだよ)
端正な顔立ちをひどく悲しげに歪めながら、その右足は躊躇なくアクセルを踏み込み続けている。前方を走る軽自動車のドライバーは、背後に張り付く巨大な白いアルファードの威圧感に、今頃バックミラー越しに涙目になっているに違いない。オシャレなイケメンが、悲哀に満ちた甘い声で愛を囁きながら、物理的な車間距離を限界まで詰めてくるというサイコパスじみたこの状況。#name#は「このまま前の車のトランクに衝突してしまうのではないか」という恐怖で、心臓が口から飛び出そうになっていた。
「なんか……急に身だしなみが完璧になったから。明らかに『誰かの手』が加わってるなぁって、モヤモヤして……」
「そうか。#name#殿に嫌われたのかと思って、焦ってしまったよ」
満寵はホッとしたように微笑んだ。しかし、その直後。
「……ああ、それにしても遅い。四十キロ走行とは。渋滞を生む原因になり得る……しかし対向車がいて追い抜くことも出来ない……なんて非効率的な運転だ。教習所から学び直した方が良い」
安堵の言葉を紡いだのと同じ口で、満寵は前の車に対する不満をブツブツと、ひどくイライラした様子で吐き捨てた。決して、彼は何でもスマートにこなす『理想の王子様』ではない。良いところもたくさんあるが、こういう『普通に困るところ』も併せ持つ男なのだ。しかし、その欠落した部分こそが、満寵という人間がこの世界で確かに『生きている』という証明でもあった。
「……本当に嫌いだったら、今日も断ってるって」
#name#が小さくフォローを入れると、満寵は一瞬だけ嬉しそうに目を細めた。
「ということは、まだ私にも可能性があるってことだよね」
(……可能性は、無いかもしれない)
#name#は言葉を飲み込み、引き攣った笑顔を返すことしかできなかった。車のタイヤが陥没の溝を力強く踏み越えるたび、後部座席に積まれた『大量の用途不明の木材』や『法正の水道管』、『コンクリートブロック』などが、ガッシャン! ゴトッ! ガシャアアアン! と、激しいパーカッション音楽を奏でながら宙を舞っている。もし今、この男に自分の命を預けているという極限状態の吊り橋効果でときめいたとしても、それはただの生存本能のバグである。車のサスペンションが悲鳴を上げるたびに鳴り響くこの騒音のオーケストラの中で、#name#はふと『彼を身支度させた黒髪の人物』も、この地獄のドライブを経験したのだろうか、と場違いなことを考えていた。もしこの暴走アルファードに同乗してなお彼を愛し、隣に並び立って微笑むことができるというのなら、その人物は余程の狂人か、それとも鋼の神経を持つ猛者である。そんな存在に、しがないコンビニ店員の自分が敵うはずがないという諦めが、再び胸をかすめた。
そして、#name#の不安をさらに煽る事実がもう一つあった。わざわざカーナビを設定したにも関わらず、満寵はそのルート案内にことごとく逆らい、全く別の道を進み続けているのだ。ナビとは一体何のために存在しているのか。根本的な疑問を抱かざるを得ない。
『ルートを再検索します。……次の信号を、右です』
無機質なナビの音声が車内に響いたあと、「承知した」と満寵は涼しい顔でそう返事をしたものの、アルファードはウインカーを出して『左折レーン』へと進入し、ピタリと止まった。
「……右じゃないの?」
「地図をよく見てごらん。ここは右に曲がるより、左に曲がった方が国道まで道を一本短縮できるんだよ」
満寵はニコニコと、一切の悪びれもなく『効率厨』の理論を展開しながらナビの画面を指し示した。またしても『ルートを外れました。再検索します』というナビの悲しい音声が響く。
「だったら、ナビ必要ないじゃん……っ、わっ!!」
#name#がツッコミを入れた直後、青信号に変わるか変わらないかのギリギリのタイミングで、アルファードはフライング気味に急発進した。身体がシートに深く沈み込む。案内に反抗し続け、独自のスリリングなショートカットを爆走する満寵に、#name#は終始、一抹の不安を覚え続けていた。しかし、彼女がふと視線を向けたナビ画面に表示されている『目的地までの所要時間』は、満寵が道を逸れるたび、確実に、そして不気味なほど正確に縮まっていった。「四十分くらいのドライブになる」と、駐車場で彼は爽やかに言っていたはず。だが、彼が情緒をバグらせながら、走行時間とデートのロマンチックな雰囲気を削ぎ落としていった結果、アルファードはわずか三十分ほどで目的地の和食店へと到着してしまったのである。
効率を追求しすぎるあまり、デートの空気よりも移動効率を優先してしまう男。恐怖のドライブを終え、#name#はようやくアシストグリップから解放された手を、ブルブルと震わせながら下ろすのだった。