《第24話》
結局、あれから#name#は、あんみつの他にも白玉ぜんざいと抹茶プリン、最後に一杯だけお酒を飲んだ。そのせいか、お会計金額は二人での食事にしてはそこそこ高額になってしまったが、満寵は財布を出し渋る素振りさえ見せず、当然のようにレジの前に立った。しかし。
「……関羽殿が『絶対にポイントを付けろ』と煩いので、支払いはpaypayでお願いします」
満寵はレジに立つ店員に向かって淡々と言い放ち、財布……ではなくスマホの画面を提示して会計を済ませた。どこまでも己のスタイルとマンション住人の教えを貫く男である。そして帰りもまた、あの『走る資材売り場』のごとき空間に閉じ込められることになった。
アルファードは都会の美しい夜景の中を駆け抜けていくが、満寵は行き以上の『効率厨の暴走』を発揮。法定速度を超過ギリギリで攻め、前方を煽り、怒涛のルートショートカットをキメた結果、帰りのドライブはわずか二十分までゴリゴリに短縮されていた。しかも、ハンドルを握る隣の男は、息継ぎすら忘れたかのように延々と不満を垂れ流している。
「あの店はもう行かない。私がつける評価は1だ。味は良いのに残念でならない。そもそも#name#殿は甘すぎる。……だいたい、あのレジの店員が司馬懿殿に似ていて、私は非常に複雑な気持ちになった」
(……いや、最後のは完全な言いがかりでしょ……)
いつもの隙も、面倒くさい性格も、端正な風貌も、彼女のために用意された『極上の男』のはずなのに。その口から飛び出すのは、ロマンチックの欠片もない辛辣なレビューと、理不尽すぎる言いがかりばかりだ。助手席の#name#は遠心力でドアに押し付けられながら、この男の情緒の振れ幅に激しい眩暈を覚えていた。
#name#は心の中で盛大にツッコミを入れながら、ロマンチックな夜景どころではない狂気のサバイバルドライブを耐え抜いた。
二十時ごろ。無事にマンションに帰還し、エントランスを通ると、ガラス張りの管理人室には夜番の司馬懿がいた。彼は若者の街で売っていそうな『カラフルな飲み物』をストローで啜りながら、椅子の上で器用に胡座をかいている。どうやら夕方に撮影していた『凡愚ちゃんねる』の動画をチェックしているらしく、スマホの中で高らかに初心者マークを掲げる自分の姿に夢中になり、一人で「フッ、フハハハハ!馬鹿め諸葛亮!今頃は家で一人虚しく、洗車の極意でも学んでいるに違いない!」と不気味に笑っていた。そのためか、#name#たちには全く気付いていない。
「……司馬懿殿、何時まで仕事してるんだろう?」
「あれは仕事をしていない。ただの暇つぶしさ」
満寵は一切の配慮を見せず、普通の、なんなら少し張った声量でバッサリと斬り捨てた。奇行種が犇めくこのマンションにおいて、他人の奇行にいちいちツッコミを入れるのは野暮というものだ。しかし、この男の『身内に対する容赦のなさ』は群を抜いている。#name#は、いつか自分もあの鋭い刃でバッサリと切り捨てられる日が来るのだろうかと、少しだけ背筋が寒くなった。
二人は初めて一緒にエレベーターに乗り、四階へと移動した。物音のない静かなコンクリートの廊下を進む。謎のガラクタばかりが廊下に押し出されているお宅の前を通り過ぎ、玄関の覗き穴が『シマウマ模様の布切れ』で厳重に目隠しされた不審者、郭嘉の家の前を静かに通過する。そして、玄関外に置かれた傘立てに、ビニール傘が剣山のように十本以上も無造作に詰め込まれた部屋――満寵の自宅の前に辿り着いた。
「さあ、どうぞ」
彼に促されて足を踏み入れた瞬間、#name#の目の前には、文字通り『眩暈がしそうな景色』が広がっていた。
満寵の部屋に上がると、そこは目を背けたくなるほどの惨状だった。資材売り場の匂いがした車内に対し、室内はなぜか『古本屋』のような匂いが充満している。片付けという概念が完全に死滅しているのか、基本は何でも『出しっぱなし』の『やりっぱなし』。本人はおそらく片付けるつもりだったのだろうが、途中で別のことに興味が移ってしまい、すべてを途中で放棄したような……そんな特有の散らかり方である。
リビングの床には、買ったばかりであろう2Lのペットボトルの水が、段ボールごと横倒しになってひっくり返っている。キャンプ用の折りたたみチェアは脚が折れた状態で転がり、足元の複雑な配線に引っ掛かって落としたのか、小型のスピーカーが無惨に割れていた。ダイニングテーブルの上もこれまた凄まじい。読みかけの謎の図鑑、あらぬ方向に関節が曲がったデッサン人形。私物と職場の貸与品らしきノートパソコンが蓋が開いたまま二台放置されているその下には、他人の家の間取り図が折り畳んで挟み込まれた『ボロボロのゼクシィ(最新号)』が無造作に積まれていて、およそ人間が食事を摂るスペースとは思えない。
(……ゼクシィ!? しかも最新号!? なんでこの人、結婚情報誌に間取り図なんか挟んでるの!?)
#name#の脳内で警報が鳴り響く。ゼクシィと間取り図。それは不動産屋としての職業病なのか、それとも誰かとの具体的な未来を『築城』しようとしている証拠なのか。散らかり放題の部屋の中で、そのピンク色の分厚い雑誌だけが、異常なほどの存在感を放って#name#の視覚をチカチカと刺激してくる。
(……この部屋、内見っていうか、もはや事件現場の『現場検証』じゃん……)
さらに寝室を覗き込むと、泥棒に荒らされた直後のように、中身が全部溢れ出したまま開けっぱなしのクローゼット。何故か壁側を向いて立っているフロアライト。そして、ダブルベッドの上には掛け布団が無く、代わりに彼のスーツが乱雑に脱ぎ捨てられていた。ヘッドボードには、よく分からないコード類に紛れて何本ものスマホの充電ケーブルが絡まり合っている。出掛ける前の支度中に、#name#の部屋の天井から聞こえていた『バリーン!ドスン!』という破壊音の原因が、ここに来て次々と明るみに出た。どうやら彼は、完璧な姿で彼女を迎えに行くため、この部屋のありとあらゆる障害物を薙ぎ倒し、文字通り命がけの死闘を繰り広げていたらしい。身嗜みに全振りした結果、部屋の治安が完全に崩壊している。その不器用すぎるポンコツ具合に、#name#は呆れを通り越して愛おしさすら覚えそうになっていた。
しかし、#name#はここで強烈な『違和感』を覚えた。この荒れ果てたゴミ屋敷のような室内にあって、『綺麗に片付いている場所』がピンポイントで存在しているのだ。キッチン、脱衣所、洗面所……。水回りだけが、恐ろしいほどピカピカに磨かれ、綺麗に整理整頓されている。それは明らかに、彼以外の『誰か』がこの部屋に出入りし、家事をしていることを示している動かぬ証拠だ。家の中でも、特に水回りの掃除を気にする存在……やはり、彼は。
この散らかりきった部屋の主である満寵に、こんなきめ細やかな掃除ができるはずがない。これは間違いなく、彼の生活圏に深く入り込み、世話を焼く『通い妻』のような存在がいるという何よりの証明だった。脳裏にフラッシュバックするのは、あの夜、満寵と並んで歩いていた艶やかな黒髪の後ろ姿。
(……なんだ。結局、私に見せたかったのは、『すでに大切な人がいる』っていう現実だったんだ……)
#name#が嫉妬と絶望で思考を巡らせていた、まさにその時。
ガチャリ、と。突然、背後の玄関の鍵が開く音がした。そして、ゆっくりと中に入ってくる『その人物』を見た瞬間。#name#は息を呑み、ただ一言、「あっ……」と声を漏らすことしかできなかった。